正しさの鎧


きのう、

約束をやぶった母に怒っていた

私は、母を許していなかった

ということに気付いた



それで



約束が守れないなら、約束しなきゃいいのに!!
と怒っていた、いや、悲しかったのだ、と気付いた




さて。
あのときの私は、それをどう乗り越えただろう?




子供のころに、やった解決方法を、ひとは大人になっても、同じように繰り返す。

黙って、じっと耐えてたら、嵐が過ぎて、解決(沈黙が解決方法)

泣きわめいて、ダダをこねたら、言うことをきいてもらえた(押して押して押しまくって解決)

ひたすら努力したら褒められた(努力が解決方法)

とか・・・


どの方法使って、あの悲しさを乗り越えた?





ふとん被って泣いて、眠った
漫画読んで、没頭した
友達と遊んで忘れた

「逃避」行動だ。




そして、頭のなかで、「自分はただしい」と自分に言い聞かせ続ける。

「お母さんは間違ったことをした。
謝るべきだ。
謝らないお母さんが悪い。
わたしだって、急に遊びに行きたい、と言ったんじゃなく、
ちゃんと夏休み前から、○○に行きたいって言ってた。
それを破ったひとが悪い。
私は正しい、私は正しい、私は正しい・・・」




自分が正しいことをしている、と思うことで、溜飲を下げていた。



他のことして遊んで、なにごともなかったかのようにふるまっていたけれど、ほんとうは、「私が正しい!!」という言葉で、我を強くして、踏みとどまっていた。




悲しみで、なんにもできなくなることがないように、踏みとどまっていたんだ。


あの考えにうすうす気づいてるけど、考えるのが、怖いから。
もしかしたら、と。
もしかして、わたしは、愛されてないから、約束を破られるのかな、って。

(しかもそれを証明するようなことが、なんども起きる→余計にそこから目をそらす)





おとなになった今も、同じ根っこを持った問題は、何度も芽を出す。





そのたびに、じつは心のなかで、こう叫んでいる。

「私は正しい」

と。


ずっと、思っていた。

「私はお母さんのようにはならない」
「仕事を頑張りすぎて倒れたりなんかしない」
「仕事を理由に、身の回りの大切なひととの約束をやぶったりなんかしない」
「疲れてるからって、休みの日にずっとゴロゴロなんてしない(寝てるヒマあるなら、遊びに連れてってよ!)」
「なぜなら、そういうことをしたら、あのときの小さかった私みたいに、悲しい人ができてしまうから」
「だから、ぜったいしない」




・・・・・・・・あれーーーーーーー?



ぜんぶやってるーーーーーーーっ!(笑)





「ぜったいしない」

を、ぜんぶやってるわ・・・





倒れたこともあったなぁ・・・
約束破ったなあ・・・
たぶん、悲しませたなぁ・・・
お母さんみたいになったなぁ・・・(笑)
ゴロゴロする休日大好きw



ごめん、ごめん。

うん。



ちいさかった私は、約束破られたことへ、謝ってほしかったんだね。


んで、その頃のお母さんは、約束破って、自分がやりたいように仕事して、まわりがみえていなかったんだね。(いまの私がそうだねw)




愛してないからじゃないんだ。

ただ、じぶんの一所懸命になれることを、頑張ってただけなんだ。



(もしかしたら「頑張ってるね、お母さん。どこにも遊びにいけなくても、頑張ってるお母さんは素敵」とか褒めて欲しかったのかもね。)
(わたしも、ちょっとそう思うときあるからw)






うん。
「正しい」と言ってる「わたし」は、正しいかもしれないけど、それじゃあ、解決しなかったね。



でも、そう思わないと、そういう固い固い心で、防御しないと、いられなかったんだね。
弱いから。
傷ついてしまうから。




そう思っていてもいいけれど、その固い心で、人を攻めたら、そのひとが痛いから、やめなよ。

攻めたら、防御されるよ、そりゃあね。

なんで、このひとは、わたしに心を開いてくれないんだろう、ってそりゃそうだよ。
開いたら攻めるじゃん、わたし。



だから・・・


それ、捨てなよ。



とも思う。




でも「正しい正しいの鎧」は、いままでお世話になった。


使わないで、すこし、飾っておいてもいいかもしれない。
(苦しくて、ちょっぴり使うかもしれないw)



誰かが、おんなじの、使ってたら、「ああ、おそろいだあ」ってわかるからね。


そしたら、こころのなかで「今、それ着てがんばってるんだね。うん、いまだけ頑張れ」って、その人、応援するよ。