サラダ
セロリ色 ■
にんじん色 ■
(あとね、きょうのお弁当箱の色 ■)
にがいのに みずみずしくて
あまいのに にがいの 同居してて
こわいのに やさしくて
だまっているのに 雄弁な
君みたいだな
っておもいながら こまかく刻んで 食べた
ほんとうのじぶんと ほんとうのきみと いつもほんとうだけでいられたら、どんなにかいいだろう
http://www.cinemarise.com/theater/archives/films/2006022.html
ひさしぶりに、お気に入りのDVDを観て、またあほみたいに泣きました。
さて、今日は。
ながいこと、できなかったことを、実行しました。
ツイッターのTL読んでいて、苦しいきもちになってしまうひとの、フォローをはずしました。
実家をでて、一人暮らしを始めたときも、こんな気持ちだったな。
すこし、距離を置いてみると、たまらなく、大切なことに気付いたりもする。
(・・・とか言って、いいひとにみられようとする気持ちが、ほんとうの、自分を、自分でみえなくしている、ような気もする)
実はね、復讐してしまいそうだから、家、出たんだよ。
じぶんを、止めるために。
また、同じことをしてるね。
傷つけてしまいそうだから、距離を置こうと思った。
混在する気持ち。
たぶん、どれも本当。
本当はたいせつだよ
本当は距離をおきたいんだよ
本当はいつもいつもみてると、苦しいんだよ
ぜんぶ、本当。
矛盾してても、本当。
いつか、この気持ちが薄まっていくといい。
強い赤、強い緑、強い紫なんて一緒にあると、目がちかちかしてしまう。
■■■
ね。
でも、みんな薄めてみる。
■■■
ね。
どの気持ちもほんとうだから、すこし薄まるまで、置いておくよ。
すこし、休ませるよ。
ここ数日、がっつり、じぶんの過去をほじくって、むきあって、ちょっと疲れた。
やりすぎかな。
でも、いろいろ、糸口みえた。
すこし、熟成させるよ。
どうせ、のカード
私の物心ついたころから母は働いていて、私が小学校の高学年くらいの間、たしかほんの数年間だけ仕事してない期間を除いて、母はずっと、仕事をしていた。
夜中まで、家に帰ってこなかった。
大丈夫、一人でいる方が気が楽だし。
私はいつも、そう言っていた。
母は「おまえは、しっかりした子だから、大丈夫だよね」
と言っていた。
カギっ子だったけれど、大けがをしたり、病気の時、困ったときのために、母は、会社の電話番号をわたしに教えていた。
そして、時々電話した記憶がある。
たいしたことないのに、電話したような記憶もある。
迷惑をかけてはいけない、と罪悪感がありながら、電話した。
ちいさいころ、私はよく、怪我をした。
クラスの友達(男子)をおもいきりなぐったり、問題をおこした。
わざわざ、困ったことを起こした。
電話せざるをえないようなことを、起こしていたのだ。
ひとりでいるのは、平気なんかじゃなかった。
しっかりした子なんかじゃない、と言いたかった。
(話を聞いて)
(お母さんの声を、聞かせて)
(甘えさせて!!)
これを、わたしは、今でも繰り返している。
わざわざ、わたしのことを、寂しくさせるようなひとばかりを選んで、じぶんのまわりに置こうとする。
『ああ、やっぱり、寂しいおもいをさせられるんだなぁ』を、繰り返すために。
しっかりしているフリをまずは演じて、そのあと、しっかりしてないことを、そのひとの前で、証明してみせたりする。
『一人で、放って置かれる人』を、何度も、繰り返す。
『一人で、放って置くと、怪我をしたり、病気をしたりする』を繰り返す。
一人で大丈夫だよね。
一人で、できるよね。
一人で、放っておいたほうが、あなたは、楽そうだし。
そう見られるようにしていないと、お母さんを心配させるから。
一人でいるのが、好き、と何度もひとに言う。
ひとりになるような扱いを受ける。
ひとりになるできごとが、あつまってくる。
ああ、やっぱり、わたしはひとりなんだな、と思う。
結果。
一人でいるのが、楽だし、じぶんなんだ、と思っている。
じぶんで、じぶんを、そういうひとだと、思い込んでいる。
ほんとうに、そう?
一緒にいて欲しい、と思っているんじゃないの。
一緒に解決してほしい、と思っているんじゃないの。
ひとりでいたら、ふとんかぶって寝るか、ともだちを探しに行くだけで、一人で解決する能力など、ほんとうはない。
私は、謝らせようとしていた。
「寂しかったんだね、ごめんね」
を言わせようとしていた。
態度に出して、
声にだして、
それを説明してくれないから、拗ねて、言わせようとしていた。
たくさん怪我をしたり、病気になるようなことしたり、まわりの人たちと問題を起こしていた。
もうやめたい。
「どうせ、わたしは、一人で放っておかれる」
を、やめたい。
拗ね続けるほうが楽だから。
いまさら恥ずかしくて、ずっと握っていたものを放したくないだけで。
降参しよう。
本当は知っていたんだ。
見守られていたことを。
いつも、助けてくれてたことを。
さんざん拗ねて、反抗していた相手に向かって、これを言うのが、恥ずかしかったんだ。
「ありがとう」
って。
「いつも、見守ってくれてたの、知ってた。」
「たいへんなときに、助けてくれて、ありがとう。」
『どうせ、いつも、放っておかれるし』
のカードをめくってみる。
『どうせ、いつも、見守ってくれてたんでしょ』
裏と表で、1セットになっていることに、気付いた。
そうか。
捨てなくても、いいのか。
こんなだめな私は、捨ててしまいたい、と思っていたけれど。
裏に書いてあったことに、ずっと気付かなくて、持っていたカード。
とっておいて、よかったんだ。
かなっていた夢
仕事の、全体からみた相対的な立ち位置、というのか、おおげさに言ったら「天命」とでもいうのか、なんとなく、自分はこういう役割をしたほうがいいな、と感じることがあった。
何年も前に「これかもなあ・・・」とぼんやり気付いていたのに、忘れてしまっていた。
わたしは、じぶんが、表舞台に立つのでなく、「橋渡し」をする役目のひとなんじゃないのかな、と思ったのだ。
キーワードは、
「橋渡し」「下準備」だ。
それを自覚したのは、某ボランティアだった。
最初は、自分自身も、作業をする人の、ひとりだった。
そのうち、みんなの「とりまとめ」というか「みんなの働きやすいように下準備する係」となった。中心人物のひとと、その人を慕ってあつまったボランティアグループみんなの、「橋渡し」をするような、役目だった。
だんだんと自分自身は実作業をすることがほとんどなくなっていったが、作業経験もあるから「あ、これは一番面倒な部分かな」と思うところを片付けた。
初めて来たひとのフォローをしたり、中心人物のひとへ、作業方針をうかがったり。
作業を標準化するためのマニュアルを作る、やり方がわからないひとの質問に答える、というのが、主な役割だった。
「こういうのを、仕事にできたらいいなぁ」
と思っていた。
でも、ひとに作業をやってもらう、とか、仕事を振る、とかいうのは、出世した管理職のひとのお仕事だよなぁ、管理職はめんどくさいし、責任感ないわたしには、重荷だし、嫌だなあ、と。(わがまま〜)
だから、そういう仕事につくのを、あきらめていた。
あきらめていたことさえも忘れていた。
昨年5月に、とりあえず食いっぱぐれないようになんでもいいッス、と仕事をつかみ、しがない派遣社員になった私は、実は、念願の仕事を手にしていたのだ。
社内のヘルプデスクをやることになった。
といっても、私の立ち位置は、ヘルプデスクの人たちのお手伝い的なところだ。
自分自身が「スペシャリスト」ではないけれど、
どの仕事を、どの部署の、どの人にやってもらえばいいか、判断する。
うちの部署の仕事なのか、他の部署と連携してやるのか、ぜんぜん違う、これはうちの仕事じゃない(と言ってみんなで押し付け合いも時々発生するんだが)と判断する。
うちの部署のみんなが、働きやすいように、下準備をする。
ああ・・・
そういうのが、わたしは、やりたかったんじゃなかったっけ。
夢は、かなっていたのだ。
だめっぽいひとをやってみよう
最近、続けてこんな風に日記をかいているのは、会社にむかつくヤツ(きゃ、品のない)がいるからである(笑)
はっはっはっはっは!!
いえ〜〜〜い!!(やけくそか)
役割分担が仕事で変わったんですけど、楽なとこばかりやりやがる先輩に、こんにゃろー!と憤っていた。
仕事の分担がおかしいことになっとる!
と、ひとりで怒っててもしょうがないから、上司に報告した。
(そういえば、今まではひとりで我慢して、心身を壊したりしてたなぁ。)
でも、上司は
「自分で、本人に、言葉で言ってごらん。言えば、わかるひとだよ」
・・・・・・・・終了である。
ああああああああああ(泣)
しかし不思議とこの上司が言うと、そうかもなあ、と一瞬納得してしまう。
いや、言えねえから。
機嫌がわるいと仕事しねえから、あのひと。
しかし、私は、うっすら気付いていた。
でもこのタイプ、ときどきあらわれるんだよなぁ・・・
とおもうので、たぶん、いやほぼまちがいないんですけど、私の問題なんである。
楽をしやがって、こんにゃろー!
の本音は、
私も楽がしたいぞー!
である(笑)
機嫌がわるいと、動きたくないのは、私もである。
だから。
来るなら、こいや!仕事!かもーん!
と腹をくくることにした。
(直接本人に言うなんてがくがくぶるぶるして言えないからである!←威張るところか)
そして今日。
きもちわるいことが起きた。
一度に仕事がふってわいた時間、私が他の部署へ用事があって席を外した間があった。
席に帰ってきたら、そやつから・・・・
「これやっておいたよ〜」
メッセージが残っていた。。。。
しかも、結構めんどうなたぐいの仕事を片付けていてくれてたのである。
ええええええええっ!??(゚ロ゚;)
どうした?
どうしたの?
わるいものでも拾って食べたの?(失礼なw)
今日は朝から体調がすぐれず、頭がまわらず、ちょっと連絡が行き違ったり、なんかうまくいかないなぁ、と泣きたくなっていた。
でも、みんな、気にしてるように見えず、どんどんフォローしてくれてた。
しかも、いちばん嫌いな(あ、言っちゃった)そやつまでもが。
そうかぁ・・・。
よくさぁ・・・なんでもかんでも世話を焼き過ぎる女子がさぁ、だめんずつかまえるけど、あれって、ダメ男にその女の子が育てあげてるんだよ、って聞いたことある。
仕事も同じだなぁ。
周りがダメなやつばっかりなんだよ、って言ってるひとは、自分がやりすぎちゃって、まわりをダメ人間に育てあげてるのに気付かない。
いや、わざとでないんだけど、自分自身が、だめだめになってみると、みごとにみんな、助けてくれるもんだなぁ。
気の効くひとが多い部署にいるから、他のひとたちのフォローはさすがだなぁ、と日々感じることが多いけど、ヤツまでもが!(←重ねがさね失礼)
力を抜いてみるのもいいもんだにゃー
正しさの鎧
きのう、
約束をやぶった母に怒っていた
私は、母を許していなかった
ということに気付いた
それで
約束が守れないなら、約束しなきゃいいのに!!
と怒っていた、いや、悲しかったのだ、と気付いた
さて。
あのときの私は、それをどう乗り越えただろう?
子供のころに、やった解決方法を、ひとは大人になっても、同じように繰り返す。
黙って、じっと耐えてたら、嵐が過ぎて、解決(沈黙が解決方法)
泣きわめいて、ダダをこねたら、言うことをきいてもらえた(押して押して押しまくって解決)
ひたすら努力したら褒められた(努力が解決方法)
とか・・・
どの方法使って、あの悲しさを乗り越えた?
ふとん被って泣いて、眠った
漫画読んで、没頭した
友達と遊んで忘れた
「逃避」行動だ。
そして、頭のなかで、「自分はただしい」と自分に言い聞かせ続ける。
「お母さんは間違ったことをした。
謝るべきだ。
謝らないお母さんが悪い。
わたしだって、急に遊びに行きたい、と言ったんじゃなく、
ちゃんと夏休み前から、○○に行きたいって言ってた。
それを破ったひとが悪い。
私は正しい、私は正しい、私は正しい・・・」
自分が正しいことをしている、と思うことで、溜飲を下げていた。
他のことして遊んで、なにごともなかったかのようにふるまっていたけれど、ほんとうは、「私が正しい!!」という言葉で、我を強くして、踏みとどまっていた。
悲しみで、なんにもできなくなることがないように、踏みとどまっていたんだ。
あの考えにうすうす気づいてるけど、考えるのが、怖いから。
もしかしたら、と。
もしかして、わたしは、愛されてないから、約束を破られるのかな、って。
(しかもそれを証明するようなことが、なんども起きる→余計にそこから目をそらす)
おとなになった今も、同じ根っこを持った問題は、何度も芽を出す。
そのたびに、じつは心のなかで、こう叫んでいる。
「私は正しい」
と。
ずっと、思っていた。
「私はお母さんのようにはならない」
「仕事を頑張りすぎて倒れたりなんかしない」
「仕事を理由に、身の回りの大切なひととの約束をやぶったりなんかしない」
「疲れてるからって、休みの日にずっとゴロゴロなんてしない(寝てるヒマあるなら、遊びに連れてってよ!)」
「なぜなら、そういうことをしたら、あのときの小さかった私みたいに、悲しい人ができてしまうから」
「だから、ぜったいしない」
・・・・・・・・あれーーーーーーー?
ぜんぶやってるーーーーーーーっ!(笑)
「ぜったいしない」
を、ぜんぶやってるわ・・・
倒れたこともあったなぁ・・・
約束破ったなあ・・・
たぶん、悲しませたなぁ・・・
お母さんみたいになったなぁ・・・(笑)
ゴロゴロする休日大好きw
ごめん、ごめん。
うん。
ちいさかった私は、約束破られたことへ、謝ってほしかったんだね。
んで、その頃のお母さんは、約束破って、自分がやりたいように仕事して、まわりがみえていなかったんだね。(いまの私がそうだねw)
愛してないからじゃないんだ。
ただ、じぶんの一所懸命になれることを、頑張ってただけなんだ。
(もしかしたら「頑張ってるね、お母さん。どこにも遊びにいけなくても、頑張ってるお母さんは素敵」とか褒めて欲しかったのかもね。)
(わたしも、ちょっとそう思うときあるからw)
うん。
「正しい」と言ってる「わたし」は、正しいかもしれないけど、それじゃあ、解決しなかったね。
でも、そう思わないと、そういう固い固い心で、防御しないと、いられなかったんだね。
弱いから。
傷ついてしまうから。
そう思っていてもいいけれど、その固い心で、人を攻めたら、そのひとが痛いから、やめなよ。
攻めたら、防御されるよ、そりゃあね。
なんで、このひとは、わたしに心を開いてくれないんだろう、ってそりゃそうだよ。
開いたら攻めるじゃん、わたし。
だから・・・
それ、捨てなよ。
とも思う。
でも「正しい正しいの鎧」は、いままでお世話になった。
使わないで、すこし、飾っておいてもいいかもしれない。
(苦しくて、ちょっぴり使うかもしれないw)
誰かが、おんなじの、使ってたら、「ああ、おそろいだあ」ってわかるからね。
そしたら、こころのなかで「今、それ着てがんばってるんだね。うん、いまだけ頑張れ」って、その人、応援するよ。